曲目解説 小菅優・吉田誠 デュオリサイタル

 

プログラム

ブラームス:クラリネットとピアノのためのソナタ 第2番 変ホ長調 op.120-2

ブラームス:子守唄 Op.49-4 (1868)
ブラームス:眠りの精 (1858)
シューマン:リーダークライスOp.39-5 月夜(1840)
ブラームス:さびしい森の歌 Op.85-6 (1879)
ブラームス:9つの歌曲と歌 Op.63-5 青春の歌Ⅰ(1874)
シューマン:ミルテの花より 最後に(1840)

シューマン:幻想小曲集 op.73

休憩

ドビュッシー:クラリネットとピアノのための第1狂詩曲

ドビュッシー:忘れられた小唄より1.「それはエクスタシー」(1887)
サンサーンス:「風は野を行き」(1912)
ドビュッシー:3つの歌曲 L81 (1891)
1.「海は一層美しい どんな大聖堂よりも 」
2.「角笛の音は森に向かって訴える」
3.「生垣の立ち並びは無限に続く羊の群れのように」
サンサーンス:「鐘」(1855)

サンサーンス:クラリネットとピアノのためのソナタ Op.167

 

 

1894年11月、ロベルト・シューマンの妻であり、19世紀を代表するピアニストであったクララ・シューマンのフランクフルトの家に、彼女の長年の親友ヨハネス・ブラームスが、リヒャルト・ミュールフェルトというクラリネット奏者を連れてきた。74歳のクララ・シューマンの家にはしばしば音楽家が集い、リハーサルをしては、ときどきお客様を呼んで私的なコンサートが行われていた。当時クラリネット奏者に作品を演奏してもらうのは極稀なことで、ブラームスがミュールフェルトという素晴らしい奏者に出会ったのは運命的なものがあったに違いない。このときブラームスは60歳。もうどこにいっても巨匠と崇拝される名作曲家で、最後の作品を書き終えて引退するはずだった。しかし、このミュールフェルトとの出会いをきっかけに、クラリネットのための傑作を4曲も書いたのだ。

到着するなり、すぐさまブラームスはクララに新しいクラリネットとピアノのための二つのソナタを聴かせた。ブラームスがピアノを弾き、譜めくりをしながら演奏に聞き入るクララは、楽章ごとにその素晴らしい作品の誕生に喜びの声をあげた。その3日後、友人たちを呼んで、この二つのソナタの私的な初演が行われる。最後にはクララ・シューマンがミュールフェルトと一緒に夫の「幻想小曲集」を演奏した・・・。

 

このような私的な音楽家の集いは現在もしばしばある。4年前、私があるサロンの私的な演奏会で弾いたとき、吉田誠が客席にいたのはとてもラッキーなことだった。終演後に今日初めに演奏するブラームスの第2番のソナタを遊びで弾いてみた・・・それは、こうして共演を重ねる、大事な音楽仲間となるきっかけとなった。その後彼のブラームスの演奏を聴くチャンスもあり、心の奥深いところまで揺すぶる内面性に感動せざるを得なかった。

そして2018年、私の木管とのピアノ五重奏のプロジェクトで初共演したあと、彼の考案の、この上記のクララ・シューマン邸での私的初演を元にしたブラームス/シューマンプログラムを3年近く何度もコンサートで演奏し、満を持して今夏録音した。お互いそろそろ新しいチャレンジをしたくなり、フランスものを入れた新プログラムを作ることになった。

しかし、これが難しい。もう親しくなり遠慮など必要なくなった仲なのは頼もしい一方、コンセプトを作るのがお互い好きで、「このアイディアがいい」となると両方とも譲らない。したがって、本日演奏するプログラムは活発な意見交換と試行錯誤の末、やっと完成した。

 

プログラム冒頭のブラームスのソナタ第2番のテーマの十字架のモチーフ(ミb・レ・ファ・ミb)は、サン=サーンスの晩年の傑作(1921年作曲)である同じく変ホ長調のソナタのテーマでも使われている。証拠はないにしろ、サン=サーンスがブラームスのソナタに敬意を払ったとしてもおかしくない。今日はドイツとフランスを舞台に、この二つの晩年の傑作を基盤として、一つの大きなストーリーを感じていただきたい:

 

ヨハネス・ブラームス(1833-1897)クラリネットとピアノのためのソナタ第2番の十字架のモチーフは、第1楽章で愛情に溢れる甘美な旋律として歌われ、その一つのモチーフがあらゆる形に変容する。ブラームスが当時言っていた、クラリネットとピアノの極上の相性がわかるようなからみ合いは、影の現れも愛によって乗り越えられる・・と確信できるような強さと同時に、儚さが感じられる。第2楽章はスケルツォとはいえ、悲劇的な情熱が迸り、トリオでは祈りのようなコラールがピアノのベースラインにリードされ、歌われる。多彩な変奏楽章の第3楽章は対位法の見事な扱いと、クラリネットとピアノの遊び心いっぱいの対話、そして慰められるような優しさに溢れている。最後の変奏は短調のアレグロで、テーマと平行して神への感謝のような讃美歌のモチーフが現れ、壮大なクライマックスへと向かう。

 

ブラームスはまだ若き青年のころ、尊敬するロベルト・シューマン(1810-1856)を訪ね、自作のピアノ曲を演奏した。たぐいまれな才能に驚いたシューマン夫妻は彼を家族のように迎え、その音楽的才能を支え続けた。病のためロベルトはやがて遠ざかることになるが、ブラームスはロベルトの死後も7人の子供達の世話を手伝い、クララにとってかけがえのない支えになった。

吉田の歌曲の選曲は、そのようなシューマン家とブラームスの交流の背景を映し出しながら、シューマンの美しい歌曲も交え、夜の情景から希望の光へと大きな流れを作る。今日は歌詞なしでクラリネットによって「歌われる」が、音楽のみでそれぞれの歌曲の表す情景や感情へと、皆様を導けたら嬉しい。

 

ブラームスの「子守唄」は、ゆりかごを揺らしながら愛らしい子を寝かす慈愛に溢れるイメージが想像できる。しかし、秘めたメッセージが込められているとも言い伝えられている:この作品は友人ベルタ・ファーバーの子供の誕生祝いのプレゼントで、「君が子供を寝かすときに歌い、君の夫がそれに合わせてピアノで「ラヴソング」を奏でることに、満足するだろう」という奇妙なメッセージが添えられた。実はブラームスはハンブルクで女声合唱の指揮をしていたときに歌手のベルタに想いをよせていたが、ベルタにふられてしまった。彼女は当時断わりのメッセージとしてある民謡を歌ったのだが、ブラームスはこの「子守唄」のピアノの右手のモチーフにその民謡を引用したのだ。彼女の夫にそのモチーフを弾かせるということは、皮肉のようにも捉えられる。そして、「バラに囲まれて、ナデシコに飾られて」とあるが、このナデシコは害虫や病をよける効果があるとされていたため、大事な人の無事を祈るという意味も込められている。

「眠りの精」は、ブラームスがドイツ民謡をシューマンの子供達のために編曲した「子供のための民謡集」の第4番にあたる。眠りの精(ドイツ語は砂の精)とは、ドイツの民話によく登場する妖精で、子供達の目に砂を撒き、眠くさせる。星空が煌めく夜に、子供を優しく眠りに誘う光景が目に浮かぶ。

シューマンの「月夜」は、アイヒェンドルフの詩集から夜をテーマにしたものをシューマン自身が選び、音楽をつけた歌曲集「リーダークライス」より第5番。永遠と広がる星空を見上げながら翼を広げ、大地の上を飛ぶようなこの歌曲には、シューマンらしい憧れと、郷愁の念がこもっている。

その美しい風景から、哀愁漂う森の孤独の夜へと移り変わる。ブラームスの「さびしい森の歌」では愛と救済を求める孤独な人物の夢想的な場面が、ナイチンゲールが鳴く日没の光景と共に切なく歌われる。

愛の象徴ナイチンゲールは次の作品でも現れる。当時17歳のシューマンの末子フェリックスは「青春の歌」の詩を書き、クリスマスに母親と姉たちにプレゼントした。彼の教父だったブラームスはそれをクララからもらい曲をつけ、彼を驚かせた。それを見たフェリックスは大喜びしたそうだ。「さびしい森の歌」の大人の心情から一変し、歓喜に満ちた純粋な恋の情熱が生き生きと迸る。シューマンの子供達の中で最も芸術的才能のあったフェリックスは結核を患い25歳の若さでこの世を去った。クララとブラームスにとってそれは大きなショックだったに違いない。

そして、シューマンの歌曲集「ミルテの花」の最終曲「最後に」では、天にしか救いのない恋が語られる。シューマンの今にも崩れそうな内面性が、この世にはない儚い希望を繊細に表している。

 

クラリネットの歌心溢れる音色は、ここで「幻想小曲集」のメランコリックな心情へと導く。

 

シューマンは1849年、10か月の間に管楽器のための小曲集を3つ書いた。それぞれの音色を活かしたこの曲集は、個人宅の親密な雰囲気の中、室内楽を演奏する19世紀前半の伝統にそった作品で、初演もシューマン宅にて行われた。3曲すべてアタッカで演奏するよう指示があり、内面的でメランコリックな第1曲、生き生きとして優美な第2曲、そして自発性に富んだ感情が迸るような第3曲へと、まるで内気で夢想家のオイゼビウス(注1)から情熱的で行動派のフロレスタンへと徐々に移りかわっていくように展開される。

 


(注1)オイゼビウスとフロレスタンは自分自身の性質の対照的な二面性を表す、執筆活動の多かったシューマンがその際用いた架空のキャラクター。

 

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吉田誠は高校生のときクラリネットを初めて手にし、その音色にエクスタシーを感じたと語る。音楽においてのエクスタシーは19世紀終わりから20世紀にかけてあらゆる作曲家に探求された。それは、古典派を中心として基盤となっていた機能和声から離れようとする傾向とともに、ドイツ後期ロマン派ワーグナーのオペラ「トリスタンとイゾルデ」においてのトリスタン和声、そしてロシアの作曲家スクリャービンの神秘和音、そしてドビュッシーも全音階や教会旋法を用いた和声を見出していくにつれ、「疑問」の感情や宙に浮いているような不安、恍惚な歓びを感じさせるような新しい音楽語法が生まれてきた。それは官能的なエクスタシーの世界で、次に演奏する作品はそうした世界に基づく。

 

クロード・ドビュッシー(1862-1918)は1909年、パリのコンセルヴァトワールの上級評議会に呼ばれ、管楽器のコンクールの審査をすることになる。そして1910年、クラリネットのコンクールのために「第1狂詩曲」を作曲した。7月にそのコンクールが開催されると、ドビュッシーは自分の作品を11回も聴かないといけなかった。「もし生き延びられたら、報告する」と出版社にぼやいている手紙が残っているが、参加者の演奏もよく、周りの審査員に作品を称賛され、ドビュッシーはご機嫌だった。献呈されたクラリネットの教授のミマールによって初演され、後にピアノに代わってオーケストラとのバージョンも作られた。

詩的でメロディックなクラリネットとともに、ピアノが神秘的で官能的な世界を築き、徐々に狂詩的に展開され、遊び心たっぷりの対話が繰り広げられる。半音階のレガートを用いた狂気なクライマックスまでドビュッシーならではの限りない色彩の世界がそこにはある。

 

 

そして歌の世界においてのエクスタシーへと続く。

 

ポール・ヴェルレーヌは19世紀フランスを代表する詩人で、彼の義理の母親がドビュッシーの幼少時のピアノの先生だったことから交流があった。この「忘れられた小歌」から それはエクスタシーは、ヴェルレーヌの「言葉のない歌」という詩集からで、その音楽的なタイトルからわかるように、詩からは「言葉」というより五感を刺激するような雰囲気や感情が湧きでている。今日、言葉はなく、クラリネットで演奏することで、本来の意義に近寄ることができるかもしれない。この詩集は妻子を去り、ランボーという美青年とフランスを旅していた波乱万丈な時期に書かれている。ドビュッシーは、愛の営みの後のけだるい余韻が連想されるような、エクスタシーに富んだ和声で綴っている。

次に演奏するサン=サーンス作曲「風は野を行き」は実は同じ詩を用いて作曲された。この異なったタイトルは、ヴェルレーヌがこの詩の前に添えた劇作家ファヴァールの一句「野を吹きゆく風、息を止めて」を引用しているが、歌詞は上のものと同じだ。面白いことに、サン=サーンスの曲からは全く異なるイメージが連想できる。こちらではピアノの16分音符の軽やかな動きと共にメロディーがふんわりと歌われ、けだるさとは無縁の爽やかな自然の描写、独特のドライなスタイルで、木々の囁きから微かな興奮を感じるような歌になっている。

 

ここで少しドビュッシーとサン=サーンスの関係について書いておきたい。カミーユ・サン=サーンス(1835-1921)は19世紀パリに生まれ、優れたオルガニスト、ピアニスト、指揮者としての活躍をはじめ、「誰もサン=サーンスほど世界の音楽を熟知している人はいない」と言われていたほど研究者、そしてジャーナリストとしても偉大だった。作曲家としても、有名な「動物の謝肉祭」や「交響曲第3番「オルガン付き」は極一部に過ぎず、86年の歳月の中、オペラや交響曲を初めどのジャンルでも多大な作品を残した。ドビュッシーはサン=サーンスより27歳若い。サン=サーンスの「序奏とロンド・カプリチオーソ」や「交響曲第2番」など数多くの曲をドビュッシーが2台ピアノのために編曲しているところをみると、もともとは尊敬していたようだが、サン=サーンスが晩年に差し掛かるにつれ、彼の作品を激しく批判した。若い頃は前衛的と言われていたサン=サーンスも、ドビュッシーが活躍していた時期には「伝統主義者」と言われるようになっていたのだ。1901年、ドビュッシーはサン=サーンスのオペラ「野蛮人」に対して、「彼自身のために、彼の音楽のためにも、こんなごた混ぜのようなものを書いてはいけない・・・サン=サーンスのことを尊敬しているからこそ、「もうオペラは十分書いたではないか」と教えてあげる人はいないのか。晩年の意欲に屈するのだったら、新しい世界のためにもっと虚栄心を抑えた作品を残してほしい。」と厳しい視線で批判している。このような批判がしばしば繰り返された上、サン=サーンスは、ドビュッシ―の機能和声から遠ざかった音楽的語法にはついていけなかった。したがって、この二人が仲良くなることは残念ながらなかったようだ。ちなみにサン=サーンスはその後も懲りずオペラを書き続けた。

 

ドビュッシーは印象派の画家や作家が追求した理想を音楽で描いた。次に演奏する3つの歌曲 L81 (1891)においても、楽器の枠を越え、音楽からはそれぞれの情景が見えてくる。「それはエクスタシー」と同様、この3つの歌曲もヴェルレーヌが作詞している。吉田の想像力豊かな対訳でわかるように、宗教的な神々しさが漂う「海は一層美しい どんな大聖堂よりも」では美しい壮大な海と同時に死の訪れ、寂しい秋の光景を連想させる「角笛の音は森に向かって訴える」では喜びと悲しみや、寒さと暖かみのような、ヴェルレーヌらしい相反する風景や感情の交錯がある。「生垣の立ち並びは無限に続く羊の群れのように」では生き生きと牧歌的な自然の様子を想像させられる。

 

この「垣根の連なり」において、最後にピアノの左手で鐘の音が再現される。最後の和音が鳴り響くと、同じハーモニーで始まるでサン=サーンスの壮大な「鐘」へと世界は移り変わる。

 

「鐘」は、サン=サーンスが子供のころから好きだったヴィクトル・ユーゴーの詩をもちいている。フランスロマン派で最も大事な作家ユーゴーは、「レ・ミゼラブル」や「ノートルダムのせむし男」の著者だが、たくさんの素晴らしい詩をも残している。ユーゴーの詩に出会った彼は、「僕は一瞬のうちに心を奮い起こされ、僕は根から音楽的な気質だったため、それらを歌うようになった」と語る。「美しい詩は音楽に不利、または音楽は美しい詩に不利とよく言われてきた。(中略)音楽が先に書かれ、それを言葉と合わせたらそうかもしれないが、それは互いを補うべく二つの芸術にとってふさわしくない。リズミカルで朗々とした詩節は自然と歌になるのではないか、何故なら、歌は朗読を向上させるものだから。」20歳のサン=サーンスがこの思想を実現させようとした歌曲の数々のうちの一つが、この「鐘」なのだ。讃美歌のように始まるこの作品は、サン=サーンスが20年近くパリのマドレーヌ寺院で名オルガニストだったことがわかるような、天井の高い教会の高尚な響きを連想させる。オーケストラの伴奏がオリジナルだが、ピアノの低音が鐘の響きをより明らかに再現する。最初は鐘の響き以外は薄く、孤独に歌われるメロディがそびえたつ塔にぽつんと立つ人間を表しているかのようだ。やがて、ピアノが動き出すにつれ、その孤独な静けさから溢れる愛の抱擁へと切迫していき、優美なクライマックスへと向かう。

 

このみずみずしい若者の作品から、サン=サーンスの集大成とも言える最晩年のクラリネットソナタへと、時は流れる。

「収穫はもう蓄えた。85歳になったらもう黙る権利があるだろう、それはむしろ義務なのかもしれない。」1921年、サン=サーンスはこう述べていたが、1913年に一度引退宣言をしたにもかかわらず、コンサート活動は常に続けていた。そして、「私は最後の力を振り絞って、普段あまり焦点を当てられない楽器のレパートリーを広めたいと思う」と奮い立ち、オーボエ、ファゴットとクラリネットそれぞれのためにピアノとのソナタを書いた。それまでに管楽器奏者の友人のためにしばしばヴィルトゥオーゾな作品を書いているが、これはそのような技巧的なショーピースとは無縁だ。

 

サン=サーンスの「クラリネットとピアノのためのソナタ」は、その3つのソナタの中でも最も回顧的で、いつもドライと言われがちだったサン=サーンスも深い情感と暖かみを垣間見せている、貴重な作品だ。第1楽章では、このプログラムノートの冒頭に書いた十字架のモチーフがつぶやきのように現れ、ピアノの三連符に揺られながら静かに歌われる。ここで作品全体の抒情的なキャラクターが紹介される。第2楽章は軽やかなダンス風のスケルツォ。中間部で12度の音域を使ったフィギュアが原始的な雰囲気を漂わせる。第3楽章は変ホ短調の暗いサラバンドで、クラリネットのシャリュモー音域(クラリネットの最も低い音域)の太く暗い響きがピアノの低音と共にオルガンを連想させるような重厚な響きを作る。ピアノがアルペジオで和音を響かせた後、両方が高い音域へと動き、哀しみに包まれたメロディーが繊細に歌われ、ピアノの天国的なパッセージがこの世とは思えない世界へと導く。生き生きとした第4楽章へと移り変わると、クラリネットはヴィルトゥオーゾに忙しく動く。最初のテーマが短調で展開され、ドラマチックにクライマックスへと向かうが、過去を思い出すかのように、ソナタの最初のテーマへと再び戻る。まるで人生を振り返るかのように・・・天才と騒がれた幼少時、最愛なる母親の愛、二人の息子の突然の死、長い間作品を認めてもらえなかった故郷パリ、常に伴う孤独・・・すべてがノスタルジックに回想されるかのようだ。その感情的なメロディーは心の奥深くまで響き渡る・・・。

その後エングリッシュホルンのためにソナタを書くはずだったが、サン=サーンスはアフリカ旅行中肺炎を患い、86歳でこの世を去った。

何故だかクラリネットは晩年の作品と縁があり、このような最高傑作たちに恵まれた。同時に、晩年の作曲家たちもクラリネットという素晴らしい楽器に恵まれ、その情感豊かな音色のお蔭で、人生を振り返り、愛に溢れる音楽を残すことができた。彼らの残した音楽は現在(いま)でも敬愛され、永遠と人間の心に刻まれていく・・・。