ベートーヴェンのソナタ全曲演奏会もついにクライマックスに達しました!今回は超難関な「ハンマークラヴィア・ソナタ」をお届けします。
 ところで昨日久しぶりに弦楽四重奏のコンサートに行きました。4人の人間が発する音が、ときにはハーモニーとして、ときには独立した声部として、ここまでバランスよく自然に対話することができるのかと、とても感動しました。
 一方、ピアノという楽器は一人でそのような会話をしないといけないわけですが、一人ゆえにバランスをうまくコントロールできるはずなのにこれがなかなか難しく、また、逆に各声部を独立させなくてはいけません。特にフーガを弾くときは、テーマが合唱のように歌い、重なり合い、ぶつかりあうのを一人で支配するわけです。でも私が小さいときピアノという楽器に惚れたのは、このたくさんの要素を一度に多彩に表現できるからでした。
 バッハの後世の作曲家にとって、バッハからの影響は大きいもので、彼らが書いたピアノのためのフーガを見ていくのは楽しいものです。ベートーヴェンの作品には対位法のモチーフがよく現れますが、ソナタの中でフーガが出てくるのは第2回に取り上げた作品101の4楽章の中です。ゴールにやっとたどり着いたかのような決然としたこの楽章の中で、中間部に急に短調のフーガが出てきます。まるでそこまでの苦悩をふりかえるような、複雑で葛藤の見えるフーガです。
 次にフーガが使われるのは、今回演奏する(作品101に続く)作品106「ハンマークラヴィア」の終楽章です。この楽章はなんと全体に渡りフーガになっていて、広大なものに発展しています。その第4楽章の前の第3楽章は非常に悲劇的です。第4楽章冒頭、イントロダクションの後、シンプルに何かを探しているように始まるフーガは、徐々に変奏していき、テーマが連結し、対話し、発展していくのですが、どんどん迷路に入っていき、ニ短調のドミナントの和音で行き止まりになってしまいます。でもそこで1小節の休符の後、まるで救いの天使が現れたように優しいコラールが始まるのです。そこでこのコラールとフーガのテーマが重なり合い、この天使がゴールに導いてくれるのです。
 「救済」を意味しているかのように、楽曲の最後に現れるフーガで感じるものは、友人の闘病と死の後に書かれたと言われているメンデルスゾーンのプレリュードとフーガ第1番や、フランクのプレリュード、コラールとフーガでも感じます。この何とも言えない救済の瞬間は、人間の死後に味わう平和の瞬間なのでしょうか。音楽の、魂を揺さぶる力にはいつも驚かされます。
 話が少しそれましたが、ベートーヴェンの楽器の限界を試すような後期の傑作を、私が12歳のときから弾いていなかった作品10-1のソナタと、作品106と同様変ロ長調の溌剌とした作品22のソナタと共に聴いてください。