第5回によせて

6月に私の師匠だったカール・ハインツ・ケマリング教授がお亡くなりになりました。たくさんの思い出と共にレッスン風景ひとつひとつが浮かびます。10歳のときに出会ってから、大人を相手にするように私に問いかけ、説明し、時には怒られました。子供の私にとって彼の言葉は大事な教えであり、その言葉をよく考え、自分の言葉に変えていくプロセスは、人間として、音楽家としての成長の糧でした。

Op.49の2つのソナタは「やさしいソナタ」とされ、だいたい“子供”が通る道になっていますが、なかなかどうして中身は“大人”です。特に1番は数少ない短調のソナタの一つで、その「影」というか、暗い「訴え」をつかむのは決して「やさしい」ことではありません。ケマリング先生がドイツの幼い少年にこのソナタを教えているのを見たことがあります。その子がどんなに若いにもかかわらず、最初の6度上がったbの「その音を感じて、感じて」とひっきりなしに言っていたのをよく覚えています。ベートーヴェンのソナタは子供にとって理解するのはかなり難しいですが、音1つ1つを純粋に「感じて」弾くことは子供にでもできる解釈の第1歩だと思います。

「告別」ソナタの古くなった楽譜をもう一度出してきて見てみました。10代のときに先生が書き込んだ注意でかなり埋め尽くされています。その書き込みの中、第1楽章の左手のモティーフには「蹄の音」(去る者の馬の音が聞こえる)、第2楽章では「痛み」、第3楽章では「期待」などの言葉が目に止まりました。このプログラム的なソナタは、別れ、不在、再会と楽章ごとタイトルがついていて、「告別」という全体のタイトルによって悲しいイメージがあるかもしれません。しかし、最後に再会が待っている。この「再会」では会う前の喜び、「もう待っていられない」とでもいうような期待感がずっとぐずぐずと心をいらだたせ、最後は満足感と共に終わるのです。
お別れの後はいつか再会がある ―― しかし、もちろん必ずしもそうとは思えない――でもベートーヴェンは天国にいるたくさんの最愛なる人々に、音楽を通じて再会させてくれるのだ。きっとケマリング先生も最後まで研究し続けたベートーヴェンに出会って握手をしてるのだろうと、ふと思いました。